宮古島ロータリークラブは当初平良ロータリークラブとして、おとなりの石垣ロータリークラブのスポンサーにより昭和41年3月10日創立されました。

そして、国際ロータリーの承認を同年3月29日に受けております。これは同じ年に創立された宜野湾ロータリークラブ、那覇東ロータリークラブの中で創立時期は一番遅いのに国際ロータリーの承認はわずか19日後に受けております。

その後、50年以上に渡りロータリーの奉仕の心を基軸に様々な事業展開をしてまいりました。

また、宮古島には国際ロータリー第358地区遠隔地クラブ友愛委員会の支援のもと昭和天皇のいとこにあたる竹田恒徳様の書により「平良恒道顕彰碑」が建立されています。

この顕彰碑には当時の佐藤千寿ガバナーの「人間とは人と人との間柄」という言葉も添えられています。

そして、そのそばに昔 「ロータリーの森」という桜の木の森がありました。今は桜は多分一本しか残っていませんが、その桜の傍に「ロータリーの森」の碑があります。

表書きは郷土の大先輩、下地玄信公認会計士の書によるものですが、裏の名盤に書かれているのは、

1.ロータリーの森環境整備費
1.桜 600本
1.休憩用ベンチ 右 贈呈す 1956年3月

1954-55年度 1955-56年度 国際ロータリー第358地区 第三分区 八クラブ会員一同 分区代理 青木清明 町尻量光 平良ロータリークラブ会長 砂川玄隆 他 会員一同と明記されています。


昭和53年には西平安名岬に展望台と休憩用ベンチを358地区の協力の基に建設しましたが、これは今残っておりません。

その後も昭和55年には国際ロータリークラブ創立75周年を祝って少年自然の家にのびよすこやかにという少年像や宮古島市役所のそばに平良市民憲章の碑を建立しました。(市民憲章碑は現在宮古島市総合博物館横の駐車場に設置されています。)

昭和58年には当時の宮古農林高校の協力を得てインターアクトクラブを設立し平成14年には第40回年次大会を開催しました。 その後インターアクトクラブは宮古農林高校の合併により解散しました。

平成8年には平良ロータリークラブ30周年の記念に上野にあるドイツ文化村に「平和の鐘」を建立しております。

そして平成9年10年と隣の地区ですが埼玉の第2770地区の新世代奉仕部門 ライラ委員会の研修セミナーの受け入れ事業を行いました。

宮古島を代表するイベントの一つ宮古島トライアスロン大会においても、当初外国人選手の参加が少なく外国人選手を激励すべく「トライアスロン外国人選手激励会」を催す。

インターアクトクラブの協力のもと激励会を行ってきましたが、大会の規模拡大と外国人選手があちこちの小中学校で激励会を催すようになり当クラブでの激励会は終了しました。

平成19年には地雷除去チャリティ子供フェスティバルを開催しております。

平良恒道とは?

1745年5月、首里への貢物を届けその同年12月に北風をまって宮古への帰路に着くが強風にあい宮古を通り越し台湾近くまで漂流した。

食料、水が尽きかけた翌年正月5日に支那船が恒道たちの近くに漂ってきた。

沈没間際の支那船には24名の支那人がいた。

恒道は、自分達の食糧も残り少ない、その上に24名も助けると共に飢餓に苦しむことになる。

しかし、助けなければ早晩彼らは死んでしまう。

我らの死活は未だ定まらないが彼らを見殺しにするに忍びない。

かくなる上はまず救い出し、共に飢えるとも甘んじる外はない。

と自らも生死の境にいるなか24名の支那人を救い出したのである。

恒道たちの船は残り少ない水と食料を分かち合って支那へむけ航海を続けるも、また逆風にあい押し流され正月15日台湾府の金包里(今の台湾北部の基隆近く)で船が座礁。

恒道たちは全員岸に泳ぎ渡り、金包里の役人に親身に介抱され、1746年延享3年(清国乾隆11年)3月14日清国福建の琉球館に送られた。

このことを聞いた清国第6代 皇帝 乾隆帝は恒道等の義挙をいたく嘉賞(かしょう=褒め称えること)し布政使政衛門紫微堂において褒賞を賜った。

その後三年の歳月を経て琉球進貢船の帰琉船に便乗1749年8月25日五虎門を出帆し12月20日琉球中山に帰った。その翌年3月1日に一行44人は一人も欠けることなく宮古島に帰投した。

時の平良ロータリークラブ会長の砂川玄隆先生はこのことにいたく感動しこれはロータリー精神の奉仕の理想(社会生活に於ける人間の幸福は他人への思いやりと助け合いにある。)を行使したことであると痛感。

この史実を永久に伝えることは有意義であると平良ロータリークラブ例会で発表し、恒道の顕彰碑建立の機運が高まる。

国際ロータリー 第358地区 第10分区代理 池宮城秀意氏に報告し、さらには1974年昭和49年11月22日国際ロータリー第358地区年次大会が東京のニューオータニホテルで開催された際、遠隔地友愛委員会 恒道の義挙を発表し、竹田恒徳 委員長はロータリー精神の最高な行為であると称賛。

顕彰碑建立の計画を伝えると地区も協力をしますとご賛同いただき、あくる1975年昭和50年1月30日、竹田恒徳 遠隔地友愛 委員長は第三分区代理 青木清明 と共に、調査のためご来島いただきました。

帰郷後、佐藤千壽ガバナーともご協議の上、国際ロータリー創立70周年、日本ロータリー創立50周年記念事業として顕彰碑を建立することになったのであります。